骨董品買取 朝伊苑

















有田焼・伊万里焼・唐津焼の買取


有田焼は佐賀県有田町近辺にて生産される陶器です。
もっとも有名な柿右衛門は、14代目に人間国宝の称号を与えられ、いまや世界に認められるブランドに昇華しました。
世界的なブランドであるマイセンなどの欧州陶磁器ブランドも、柿右衛門の影響を多大に受けております。
江戸時代より、欧州各国の王族、貴族がこぞって柿右衛門を欲し、多くの宮殿、美術館に飾られております。

また今泉今右衛門は江戸時代より300年以上の「色鍋島」の伝統を引き継ぐ名門です。
鍋島藩の庇護のもと、藩御用達、将軍家への贈答など高価な陶器を手掛けておりました。
たいへん艶やかで鮮明な色彩の作品が多く、十三代と十四代の今泉今右衛門は人間国宝に認定されております。


有田焼が生産され始めた江戸時代には、伊万里港より世界に向けて輸出されており、別名は「伊万里焼」とも呼ばれます。
江戸時代の古い伊万里焼は「古伊万里」とも呼ばれます。

江戸時代初期の有田焼には、当時中国から入ってきた景徳鎮の陶器が大きく影響しております。
17世紀後半には、柿右衛門が中心となりはじまったとされる「柿右衛門様式」が高級陶器の筆頭となります。
濁手(にごりで)という乳白色の素地に赤を基調とした艶やかな染付が特徴的な作品です。

17世紀終わり頃からは、豪華な「金襴手」の陶器も作陶されます。
これは中国の明の金襴手を基に生産した、華麗な金彩の陶器です。


唐津焼は、佐賀県や長崎県にて生産される陶器です。
昔から「一楽二萩三唐津」と言われるよう、茶碗の高級品と一目おかれております。

中里太郎右衛門は唐津焼の名門であります。
中里無庵(12代中里太郎右衛門)は、人間国宝の称号も受けました。
唐津焼は素朴で静かな美を内包した作品が多く作られました。
千利休の推し進めた「侘び」の茶道に適した作品が多かったのではと考えられます。

有田焼・伊万里焼・唐津焼の買取

┏┻┻┳九州の刀剣┳┻┻┛

三池典太光世

☆大典太光世 天下五剣 国宝 在:前田育徳会

平安後期の名工、筑後三池の典太光世の鍛えた太刀です。
足利家から豊臣秀吉、前田利家に渡ります。

肝試しの逸話
その昔、秀吉の大坂城に前田利家、加藤清正ら稀代の強者が参じておりました。
この大坂城に夜な夜な物の怪が出るという噂が立ち、皆恐れをなしておりました。
前田利家は、もののふが化け物に臆してどうすると一喝、いわゆる肝試ししてくると勇み立ちます。
心配した秀吉は利家に大典太光世を持ってゆくよう預けます。
利家の気迫に臆したか、大典太光世の威光か、物の怪は姿を見せることなく、利家は無事に戻ってきます。
喜んだ秀吉はこの名刀をそのまま利家に与えたということです。

☆ソハヤノツルギ 重要文化財 在:久能山東照宮

筑後の典太光世の打った名刀です。
「ソハヤノツルキ」「ウツスナリ」と切ってあります。

徳川家康の愛刀として知られます。家康の指示により、死後、久能山に納められました。

紀新大夫行平

☆古今伝授の太刀 国宝 在:永青文庫

豊後の名工 行平が鍛えた名刀です。

関ヶ原の戦いを目前にして、東軍についた細川幽斎は舞鶴の田辺城に籠城します。
幽斎は古今伝授(古今和歌集の解釈を代々受け継ぐ)を相伝しており、彼が死ぬと古今伝授が途絶える恐れがありました。
後陽成天皇は烏丸光広らを派遣して、幽斎に講和を促します。
幽斎は光広に古今伝授を伝えて、さらにこの行平の太刀を贈ったと謂われております。

左文字源慶(大左)


☆小夜左文字 重要文化財

筑前の名工、左文字源慶(大左)が打った名刀です。

掛川城主であった山内一豊から細川幽斎に渡ります。

その昔、掛川の小夜中山峠にて賊に母を殺され名刀(小夜左文字)を奪われます。
大きくなった息子は賊を探し出し、見事に仇討ちを果たして、刀を取り戻します。

後にこの話を聞いた細川幽斎は、西行の歌「年たけて また超ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」から「小夜左文字」と命名します。

☆宗三(そうざ)左文字 重要文化財 在:京都国立博物館

別名「義元左文字」とも言われます。
武田信虎が今川義元に娘を嫁がせるときに、共に持たせたと謂われます。