備前焼 藤原雄の買取
藤原雄は1932年に岡山県の備前市穂浪(当時の和気郡伊里村)に生まれました。
父は人間国宝の藤原啓です。
そして1996年に自らも人間国宝の称号を受け、父子共に人間国宝として認められました。
父と同じく備前市の閑谷学校に学びます。閑谷学校は岡山藩主の池田光政が開設した武士のみならず庶民のための学校です。
小説家・劇作家として有名な正宗白鳥も閑谷学校の出身です。
藤原雄は明治大学からみすず書房に就職しますが、やがて帰郷して陶芸の道を歩みます。
藤原雄は田んぼの地下に何万年の年月をかけて蓄積された田土(ひよせ)という陶土を使い、粘り気、温かみのある独特の備前の土を生かした焼き物を追及しました。
備前焼のなかでも伊部手と呼ばれる流れに対して、藤原雄の備前焼は塗り土を使わず釉薬もかけない独自の備前焼でありました。
特に轆轤(ろくろ)を巧みに用いた壺や鉢の作陶にこだわり、多くの名作を残しております。
昭和30年代からはアメリカのダートマス大学などで大学講義も担当し、グローバルに活躍しております。
備前焼は灰のかかり具合、火のあたり具合により、作陶者の計算や窯内の偶然の要素が混合して、未知の造形を産み出します。
藁を陶器に巻いて焼くことにより、薄茶色の素地と綺麗な緋色の筋が調和をみせる緋襷(ひだすき)は、
作品同士が接合するのを防ぐため藁を巻いたことが始まりです。
また酸素の欠乏する状態で焼成されると、しっとりとした水色が美しい青備前という大変希少な焼き上がりになります。
鉄分の含有量が少ない陶土を使用して焼成すると、白備前というこれも希少な焼き物が出来上がります。