茶道具の買取
千利休の時代より三千家の位置する京都堀川通は、昔より良質の水がお茶に適するといわれ、多くの茶人、文化人の集った地域です。
また江戸時代に発展した千家十職という茶道具の技能集団も、京都の地で樂吉左衛門、大西清右衛門、中川浄益などとして数多くの茶道具を生産しております。
朝伊苑は茶道の歴史が色濃く残る京都の地の利を生かし、茶道具に精通した鑑識眼をもって、お客様の茶道具をしっかりと査定させていただきます。
室町末期から戦国の黎明期を経て江戸時代の太平の世がひらける時代。
村田珠光が切り開き、千利休が大成した茶の湯は、日本人独自の文化として花開きます。
時の権力者であった織田信長、豊臣秀吉は、茶道具を権力の象徴として、その手に集めようとします。
大名物と謳われた往時の茶道具には、様々な歴史的なストーリーが絡み合い、深淵な物語として今に伝えられます。
信長が所望してやまなかった茶釜の引き渡しを拒み、茶釜を道連れに自爆した松長久秀所蔵の平蜘蛛茶釜。
滝川一益が甲州征伐の褒美として熱望したにも関わらず、信長がどうあっても手放さなかった大名物の珠光小茄子。
美術館、博物館に残る茶道具と、それにまつわる数々のエピソードは我々の胸をときめかせてくれます。
国宝の茶碗
国宝の茶碗は 8碗 (2017年現在)です。
内訳は、国焼 2碗 唐物 5碗 高麗 1碗 です。
重要文化財の茶碗は47碗 (2017年現在)です。
天目茶碗、井戸茶碗、楽茶碗、志野茶碗などございます。
★稲葉天目(曜変天目茶碗) 国宝 在:静嘉堂文庫美術館
柳営御物として伝来します。
春日局が病に伏したとき、将軍家光により下賜されました。
後に山城淀藩の稲葉家に伝わります。
★曜変天目茶碗 国宝 在:藤田美術館
水戸徳川家に伝来します。
1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手します。
★曜変天目茶碗 国宝 在:大徳寺龍光院
津田宗及が所持します。
江月宗玩が大徳寺龍光院を継いだ頃に、この茶碗が伝来いたします。
★油滴天目茶碗 国宝 在:東洋陶磁美術館
金覆輪が美しく飾ります。
関白、豊臣秀次が所持しておりました。
若狭小浜藩主、酒井氏へと渡ります。
★玳玻天目茶碗 国宝 在:相国寺
鼈甲のような美しい模様が特徴的です。
松平不昧が所持しておりました。雲州松平家に伝わります。
☆井戸茶碗 銘 喜左衛門 国宝 在:大徳寺 孤篷庵
竹田喜左衛門が所持していました。
松平不昧を経て、大徳寺に伝わります。
おおぶりにて素朴な姿、枇杷色の静やかな色目が整った大井戸茶碗です。
その昔、京都二条城にて徳川家康に豊臣秀頼が謁見した際に、豊臣の近習として加藤清正が同席しました。
そのとき加藤清正がこの茶碗で毒を盛られたという不気味な逸話がございます。
☆志野茶碗「卯花墻」 国宝 在:三井記念美術館
可児市の大萱牟田洞で焼かれたと謂われます。
片桐石州の「山里の卯花墻の中つ路 雪踏みわけし心地こそすれ」という歌が箱に貼り付けられております。
☆楽焼白片身変茶碗「不二山」 国宝 在:サンリツ服部美術館
本阿弥光悦の作品です。
光悦が娘の嫁入りに際して、振袖に包んで持たせたと謂われます。