骨董品買取 朝伊苑





















骨董買取専門店「朝伊苑」のページをご覧いただき、まことに有難うございます。
当社は京の名刹、大徳寺の近隣、紫野の地に居を構えております。
すぐ東のほうにはお茶所として有名な堀川通が南北に走り
ご存知のように表千家、裏千家、武者小路千家などに行き交う着物姿の茶人が
日夜見られる瀟洒な界隈です。
かつては鴨川に並ぶ河川として堀川が流れ、その類まれな名水に惹かれ、千利休がかの土地に茶の湯の庵を構えたことは有名な話です。

皆様のご要望に応じ、全国に出張しまして骨董品を買い取りさせていただいております。
手数料、出張費用はございません。査定金額にご納得いただけない場合も手数料はいただいておりません。

ご父母、ご祖父母の残された大量の骨董品のご処分をご検討の方、ご自身の集められた大事な骨董品のご処分をお考えの方、 どうぞお気軽にご相談ください。
お値段がご希望にかないましたら、即日現金にてお支払し、商品を引き取りさせていただきます。

蝉の印籠



古陶器 花瓶



欧州 アンティーク小箱



欧州 アンティーク小箱



七福神 盃



備前焼 山本陶秀



七夕蒔絵 棗



大海 茶入れ



青磁 六角皿



アンティーク七宝 筆入れ墨箱



薩摩焼 錦光山 大香炉



青九谷 火入れ



金蒔絵 漆塗り 高盆



時代物 硯入れ



古伊万里 肥蝶山信甫



十四代酒井田柿右衛門



螺鈿 卍開き時代箱



時代物 甲冑



飴釉 大樋年朗 茶碗



三浦竹泉 青磁の香合



清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗



七宝焼 宝箱 時代物



菅原伝授手習鑑 蒔絵高台箱



贅沢に金加工を施した蒔絵のお品です
蓋裏に菅原道真の和歌が載せられております
「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松の つれなかるらん」

江戸時代より公演される歌舞伎の演目 「菅原伝授手習鑑」
物語のクライマックスで道真に忠義を尽くす松王丸がこの和歌を口ずさみます
歌舞伎の時代物として5本指に入るこの題目は江戸時代の有名役者 尾上菊五郎 市川八百蔵 中村芝翫 などに演じられております

●菅原伝授手習鑑●
江戸時代より公演される歌舞伎の演目
菅原道真の失脚事件を描く
第四段の「寺子屋」が人気
~~~登場人物~~~
菅丞相 :菅原道真
藤原時平(しへい) :藤原時平(ときひら)
斎世(ときよ)親王 :醍醐天皇の弟 真寂(しんじゃく)親王がモデル
苅屋姫 :菅丞相の養女
菅秀才(かんしゅうさい) :菅丞相の息子
梅王丸 :三つ子の長男 菅丞相の舎人
松王丸 :三つ子の次男 藤原時平の舎人
桜丸 :三つ子の三男 斎世親王の舎人
小太郎 :松王丸の実子


~~~あらすじ~~~
京の加茂社に斎世親王が従者を連れて参詣する。そこへ桜丸が苅屋姫を連れてくる。互いに恋い焦がれる斎世親王と苅屋姫はそのまま駆け落ちしてしまう。

この顛末の責任を問われた菅丞相は、藤原時平の策略により筑紫に左遷されるが、梅王丸の活躍により菅秀才は落ち延びる。梅王丸は菅丞相を助けるべく筑紫に旅立ち、松王丸は時平の命をうけ菅秀才の追っ手に加わる。桜丸は責任を感じ自害してしまう。

京の洛外のとある寺子屋に匿われた菅秀才。だがとうとう時平の追っ手に見つかる。寺子屋の者たちは直前に預けられた子供を身代わりとして追っ手に差し出す。討ち取られた菅秀才の首検分をした松王丸は「確かに菅秀才である」と断言し、追っ手は立ち去る。

独りで再び寺子屋へ戻ってきた松王丸。さめざめと泣きながら菅丞相の和歌を口ずさむ。

「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松の つれなかるらん」

きけば菅丞相に不忠を詠われた松王丸は、いつか忠義を尽くしたいと。なんと自らの子を身代わりとして寺に預け、追っ手に我が子の首を菅秀才と信じさせたのだ。菅丞相への熱い忠義を貫いた、三つ子それぞれの運命が胸に響きます。


藤原時平を演じる松本幸四郎
三代目歌川豊国

武蔵野月 白磁の菓子器 時代不詳


武蔵野は古来より広大な原野やすすきの野原
綺麗に輝く月が和歌や工芸品の題材として愛でられました

この菓子器には淡い青白磁に叙情的な武蔵野の風景と月が描かれております

万葉集や古今和歌集にも 武蔵野の風景に慕情や恋情を重ね合わせた和歌が詠われています


恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ(万葉集)

めぐりあはむ空行く月のゆく末もまだはるかなる武蔵野の原 (藤原定家)

玉にぬく露はこぼれてむさし野の草の葉むすぶ秋の初風 (西行)

行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月かげ (九条良経)

┏┻┻┳刀剣┳┻┻┛

平安、鎌倉、室町、戦国時代と歴史逸話がふんだんな日本刀
伝承、伝説も混じる日本刀の壮大な歴史ドラマの一部をご紹介します

天下五剣を鍛えた刀匠


●粟田口国綱 山城粟田口派 鎌倉時代
国家(粟田口派の祖)の六男
新藤五国光(相州伝の祖)の父
山城から相州に移住する

☆鬼丸国綱 天下五剣 在 宮内庁(御物)

新田義貞が所持するが頼朝に敗れる
→鬼丸国綱の所持人は不吉な運命に陥ると謂われる

#北条時頼と鬼の夢#

北条時頼→新田義貞→斯波高経→足利家→信長→秀吉→家康→皇室

【特徴】銘 國綱  刃長 78cm
直刃に丁子 沸映りたつ

●三条宗近 山城三条派の祖 平安中期
「三条」や「宗近」の銘を切る

☆三日月宗近 天下五剣 国宝 
在 東京国立博物館

三好三人衆や松永久通に討たれた際(永禄の変)に足利義輝が振るうと謂われる
高台院(秀吉の正室)から徳川秀忠に贈られる

中島飛行機(現在のSUBARU)の二代目社長中島喜代一の手に渡る
GHQの日本刀没収に反し刀剣保存運動をすすめる
→実業家の渡辺三郎→東京国立博物館

【特徴】鎬と反りのある最古の日本刀
 打ち除けが三日月のようで優美な姿
 80cmと長い
 踏ん張りのある美しい姿

 鎬造り 庵棟
 小板目
 生ぶ茎 雉子股型(きじももがた)

 元幅と先幅の比率が2倍超と天下五剣で最も大きい
 佩裏に「三条」の銘

☆「小狐丸」(こぎつねまる)
能の謡曲「小鍛冶」に語られる
後一条天皇の命により作刀
狐の精霊と共に刀を打つ

☆「今剣」(いまのつるぎ)
鞍馬寺に奉納された短刀
源義経が11歳より鞍馬寺で修行するより愛用~平泉で自害するときも所持

☆「岩融」(いわとおし)
武蔵坊弁慶が振るった刃長130cmもある大薙刀

☆静御前(義経の側室)の薙刀


●典太光世 筑後三池 平安末期

☆大典太光世 天下五剣 国宝
      在 前田育徳会
10000石の領地と引き換えに足利義昭から秀吉へ渡る
→前田利家

#大坂城の肝試し#

【特徴】鎬造り 丸棟 小丸帽子
 板目肌
 14cmの腰樋
 生ぶ茎 茎に「光世作」の銘

☆ソハヤノツルキ(そはやのつるき) 重文
在 久能山東照宮in静岡県

裏「ソハヤノツルキ」 表「ウツスナリ」
坂上田村麻呂の愛刀「楚葉矢の剣」の写し

家康が遺言にて鋒(切っ先)を西国(不穏な地方)に向け置くよう指示する


●青江恒次 備中青江派 鎌倉時代
備中青江派の祖である青江守次の次男
後鳥羽上皇に仕える御番鍛冶(ごばんかじ)

☆数珠丸恒次 天下五剣 重文
 在 本興寺
日蓮が愛用していた際に柄に数珠が巻き付けられていた
日蓮は1271年に佐渡に流罪
1274年に赦免の後、甲州の身延山(みのぶさん)に久遠寺(くおんじ)を開山
数珠丸は久遠寺に保管されるが江戸時代に行方不明に
1920年に発見され尼崎市の本興寺に預けられる

【特徴】刃長84cmで踏張りがある姿
 小切っ先 鎬造り 庵棟
 小板目 直刃 小丁子
 小丸帽子 生ぶ茎 栗尻

 銘は佩裏に切る
 鑢目(やすりめ)は大筋違(おおすじちがい)

☆にっかり青江 重美 在 丸亀市立資料館
備中青江派による大脇差

夜中に女の幽霊を切ると切られた幽霊の首はにっかりと笑った
翌朝その場に行くと石燈籠が真っ二つに切られていた

柴田勝家→柴田勝敏→賤ヶ岳の戦いで勝敏に勝った丹羽長秀→秀吉→秀頼→京極家


●大原安綱 伯耆国 平安中期
現存20振り

☆童子切安綱 天下五剣 国宝
大原安綱は坂上田村麻呂に献上
坂上田村麻呂は天照大神のお告げにて伊勢神宮に奉納

伊勢神宮に参拝した源頼光は天照大神より授かる
源頼光が大江山にて酒呑童子を切る
「安綱」の銘

三好三人衆や松永久通に討たれた際(永禄の変)に足利義輝が振るうと謂われる

【特徴】刃長80cm
強い反り 広い刀身
 小鋒にて優美 小乱 小板目 地沸あつい
 金筋入る 格調高い
 鎬造り 庵棟
 生ぶ茎 栗尻

☆鬼切安綱(髭切) 重文 在 北野天満宮
童子切安綱と同じく 坂上田村麻呂→伊勢神宮→源頼光 と渡る
頼光より受け継いだ源綱は鬼の腕を切り落とす
新田義貞に渡り鬼丸国綱と鬼切安綱の二刀流で戦う


天下三名槍

西の日本号、東の御手杵と尊称される2槍に 蜻蛉切が加わる

●日本号(にほんごう、ひのもとごう)
皇室御物 106代正親町天皇→足利義昭→信長→秀吉→福島正則→福岡市博物館

「正三位」(しょうさんみ)の位を賜り、「槍に三位の位あり」と崇めらられる名槍

#呑み取りの槍の逸話 黒田節#
「賤ヶ岳の七本槍」の福島正則から黒田家の槍の名手 母里友信(もりとものぶ)へ譲られた逸話

あるとき母里友信が福島正則の屋敷へ赴きますと、友信の酒豪を聞き及んでいた正則は執拗に酒を呑もうと勧めます 事前に酒を飲んで乱れぬよう釘をさされていた友信は頑なに断ります 煮えを切らした正則は「黒田武士は酒も飲めない軟弱ものか」と嘲ります
この言葉にすっくと立ち上がった友信はやにはに大杯を何杯も飲み干し
呆気にとられる正則に褒美として日本号の槍を所望します

これが世に言う黒田節の唄のシーンです

「酒は吞め吞め吞むならば 日の本一のこの槍を 吞み取るほどに吞むならば これぞ真の黒田武士」

☆特徴
全長 約10尺6寸(約320cm) 
羽長 約2尺6寸(約79cm)
重さ 約3kg
刃文は直刃
地鉄は板目
樋には倶利伽羅龍(くりからりゅう)の豪奢な模様が彫られる

●御手杵(おてぎね)
銘 義助
駿河の嶋田派4代目島田義助

東京大空襲にて消失

家康の次男 結城秀康の養父である 「結城晴朝」(ゆうきはるとも)が作らせる
鞘におさめた形が手杵に似ているのが由来

☆特徴
全長 約1丈1寸(約333cm)
刃長 約4尺6寸(約139cm)
地鉄は小杢目交じり
刃文は小乱れ
砂流し(すながし)(沸が刃に沿い線状に連なる)

●蜻蛉切
藤原正真 の作
三河文殊派(みかわもんじゅは)
伊勢村正から三河に移り作刀した刀工集団

徳川四天王の一人 本多忠勝の愛刀→個人蔵(静岡の三島市 佐野美術館委託)
生涯50戦以上戦い傷一つ負わなかった本多忠勝が振るった名槍
武田軍は忠勝の勇猛果敢な戦いを目の当たりにし「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と恐れました

あるとき忠勝がこの槍を立てていると
フラりと飛んできた蜻蛉が刃にあたった瞬間、真っ二つに切れてしまった
これが蜻蛉切の名前の由来

☆特徴
刃長 約43cm
現在柄は無い